女子的・『涼宮ハルヒの憂鬱』の憂鬱

 日本じゅうの女の子たちが、いっせいにカチューシャをつけはじめた2006年。『涼宮ハルヒの憂鬱』の涼宮ハルヒに憧れて──かどうかは定かではない(そもそもあれは、カチューシャなのか、リボンなのか、ハチマキなのか?)だけど、もしそうだったら素敵じゃない?
TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」 キャラクターソング Vol.1 涼宮ハルヒ
 『涼宮ハルヒの憂鬱』がはじまって、毎週ワクワクしながら放送を待った。わたしが期待したのは「涼宮ハルヒ」という、夢見る女の子が描かれること。それは、OPの「TVアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」OP主題歌 冒険でしょでしょ?」に体現されてるような、退屈が嫌いで、不思議なことが大好き、自分の欲望に忠実で、行動力もあるオンナノコ。まあ、期待の内訳は、畑亜貴ぶん50%、平野綾ぶん40%、残りのあれこれ10%、なのだけれど。

 でも、いざふたを開けてみれば、この期待はゆるやかに裏切られていった。たしかに彼女には世界を変えてしまう力があった。でも、その力は、宇宙人・未来人・超能力者という、まさに彼女が憧れつづけた存在によって、管理・保存されていたのだ。まるで、天然記念物か、あるいは危険な実験生物か何かみたいに。

 つまり、涼宮さんの憧れた"非日常"は、ほかでもない、彼女自身の中にあった。オンナノコ性という稀有な非日常が。しかし、彼女はそれに気付かない。彼女の喜怒哀楽のそれぞれは、監視され、抑圧され、コントロールされる。そして、知らず知らずのうちに、涼宮さんのオンナノコ性は飼いならされていく。

 これは『涼宮ハルヒ』という作品のメタフィクション性にも通じるところがある。いきなり物語内物語ではじまったり、各エピソードの放映が時系列に沿っていなかったり、番組の公式ホームページが番組内での出来事とリンクしていたり…そういったメタフィクション的仕掛けには、最初こそ興味を惹かれた。しかし、物語が一足飛びに進んだり、また戻ったりするうちに、そこに一種の秩序があることがだんだん明らかになっていった。つまり、バラバラに見えたパズルのピースが、最終的には1枚の絵として完成することが分かってしまったのだ。これは、つまらない。

 もちろん、そのおかげでネットでは数々の「謎解き」が行われ、ハルヒ周辺は久方ぶりのアニメバブルと呼びたいくらい活気づいている。もちろん、パズルを完成させるのは楽しい。でも、それはしょせん、ルールの決まったゲームに過ぎない。なにより、パズル=ハルヒのオンナノコ性が、男の子と非現実的存在によって、保護・管理され、実験対象として観察されてるなんてなんたる憂鬱! 

 まあ、希望があるとすれば、唯一涼宮さんのオンナノコ性を崇め奉ることなく、あくまで無関心なキョンの存在(とラノベ的定番:美形でつかみどころがなくなぜか主人公にまとわりつく男の子・古泉くん)。涼宮さんがキョンに惚れるのは分かる。だけど、もしキョンが涼宮さんを迷惑と思わず、感情移入してしまったら──そのときは、この物語に別れを告げなくてはいけないのかもしれない。

※最終回の感想はこちら→id:doofrats:20060704